数学語の文章における論証

Twitter にて,論証におけるよい言語化を見た。 日頃の授業で,この2つ(引用)を明示的に取り扱うことは数学の学びにおいてきわめて大切である。 外部のこうした言語化は,授業者本人の言葉ではない説得力として,生徒に示す価値がある。

昔ながらのウェブサイト

次のウェブサイトを紹介しよう。扱われているものはゲームの攻略や裏話である。そうしたことに興味のないひとも多いであろうが,ここで取りあげるのは記事の中身ではない。昔のウェブサイトの作りについてである。

文章の見直し

自らの頭にあるものを書いてゆくときには,大きく2つの理由から読みにくいものを生みだしがちである。まず,何を言いたいのかが頭にあるために,いくつかの意味に読めてしまう文を書いてしまっても,それに気づきにくい。次に,内容に気が向いているため表現に気が回らない。そのため,せっかく文章を書きあげても,何も伝わらなければまだ幸いで,誤解を招くといったことになってしまう。

「そのまま学ぶ」力としての哲学

今年度の高校1年生から,新たな学習指導要領に則り教育が行われる。いろいろな意見があってよいが,私には残念に映る。移ろいゆくこの星で,陽の沈みゆく日本。今のまま保てるものは多くなかろう。そのとき,残すべきものは具体物ではない。人類がどちらへ進んでも,自ら立てる力である。

ローカルにテキスト形式で残す

近ごろは何でもクラウドストレージに保存されたり,アプリがデータベースを作って管理してくれたりする。 残念ながら,私はそれらを信用できない。